間違ってこの世に生まれてしまったのかもしれない

とにかく明るい詩を歌うしかない

あなたの方がずっと辛いのに

なぜ私も辛がっているのだろう

 

私は幸福であるはずなのに

 

死にそうな病に苦しんでいる訳でも

望まない労働や結婚を強いられている訳では無い

身体を拘束されてもいないし、爆撃の恐怖や毒の恐怖に震えている訳でも無い

 

なのになぜ辛がっているのだろうか

よわいにんげんだからだろうか

 

私のことを笑っている

戦わないやつらなんかいないのだ

 

秤に載せても傾くことはないが、でもあなたの方がずっと辛くて苦しいのではないかと、そう思って私は気を失いそうになるのだ

これ以上背負うことは、あなたも私も、きっとできないだろう

1秒

このまま、死ぬまで、丸くなって床で寝ていたら、

何か身体から生えてくるだろう。

こけのむすまで。

 

それは今すぐ死ぬことと何にも変わらない。

時間も宇宙から見たら、ほとんど変わらない。瞬きの間に苔だらけ。

何もしないっていうのは、消極的な自殺だね。

今すぐ死ぬとしたって、その残り1秒で、やりたいことがあるってことが大事なことだ。

 

自分なら、あと1秒あったら、この文章を最後まで書こうと頑張る。

きっとできないだろうが

下位

「せんせーに言おー(独特な旋律)」

「なんでできないの!?バカじゃないの!?」

「ちゃんと歌ってよ!」

「どうせあいつほんとは風邪じゃないんだぜ」

「ほんと、使えねえな、同じチームになって最悪だよ」

「常識ない奴。消えればいい」

 

 

努力しない人もいるし、サボる人もいるし、うまくできない人もいる、頑張っているように見えない人も、怒りっぽい人も、人が当たり前にできることができない人もいる。その人は結果として仕事や、報酬や信用を失うこともあるだろう。

 

ただ、何かできるやつが自分よりできない人を見つけては、その人が自分より下位で、自分は上位の人間で、だから何を言っても良いと思っている。

そんなことはない。それぞれ、できることをするしかないのだから、人のことをごちゃごちゃ言ってないで自分のできることをすればいい。

できない人を指導するのが、役目なら、なおさら文句を言っている場合じゃない。

不均一な個体を生かすために人間社会がある。

 

この感覚がおかしいのならば、私も「いらない奴」の側なんだろう。

それでも、私は自分より下位の人間がいるなんて思うことはできないし、そう言って来る人を上位だとも思わない。私たちは人間で、マウンティングするゴリラじゃないんだ。

不安定

アスレチックは得意だ。

細い棒の上だって歩けるし、木の板で川を渡れる。

ただし、ロープをよじ登るのは苦手だ。

 

木の板で川を渡る時、最初の一個だけは、しっかり固定されている。

目の前には、沈みそうにゆらゆらと、大きく揺れている不安定な板。みんなその手前で止まる。

後ろがつっかえる。押されて、落ちて泣いちゃった女の子。

またつっかえる。

 

 

私は、安定とか、安心なんてものが、この世からなくなればいいと思っている。

みんなあのゆらゆらした木の板に乗って、安全な場所を奪い合うのではなく、

落ちたら落ちたでびしょ濡れのまま、ずっとあの板の上で揺れていればいいと思う。

 

だって、不安定であるのが当たり前なら、それは不安じゃないんだから。

明日の天気は、変わるもの。明日の温度も変わるもの。犬は動き回るし、食べ物は腐る。それを毎日、明日はどうなるだろうと心配して思い悩む人は多分いない。

 

なのに、仕事がなくなったらとか、電車が遅れたらとか、お金を貸したらとか、とそんな些細なことで怒鳴るやつも、泣くやつも、絶望するやつもいる。

 

私は、この世の全てのものが不安定で、不安心で、明日のことなど何も分からない世の中になればいいのにと思う。

机上

まっすぐにしか進めないミニカーは、机の真ん中から、

崖に向かって走って行く。崖っていうのは比喩なんだけど、でもそう見える。

映画で見たブレーキが効かなくなった車みたいで、可愛いそうだから落ちないように、向きを変えてやる。それでも止まらないから、また反対に向けて、今度は90度回転させて、また180度回転させて、ずっと机の真ん中あたりをうろうろしてる。

 

そうするとそいつはそこから何処へも行けない。

 

それが、君の人生だ。

 

そこから見える景色しか知らない。

ずっと机の真ん中ほんの一部をぐるぐる一生懸命走って、意味もなく同じところを行ったり来たり走り続けて。

机の角も、机の外に別の何かがあるなんて、地面や花やがあることも知らないんだろう。

 

嘘だ、君の人生じゃなくて、君と私の人生だ。

 

 

分かっている。

向きを変えてくれる人は、きっと優しい人だろう。

それを自己満足と呼ぶなんて、あまりに、残酷だろう。

だから、やっぱりそれは優しさで、愛情なんだろう。

 

だがそれでも、優しさだと分かっていても、私たちは崖に向かわなければならないんだ。

その下に、その向こうに何があるのかを確かめなければならない。

確かめずに、いつか机の真ん中で止まってそれで終わりなら、落ちてひっくり返って回っていたって、おんなじじゃないか。

 

何度向きを変えられても、それ以上のスピードで走らなければ。崖から飛び降りてみたいんだ。

ありがとう、ごめんよ、でも許してくれなくていいんだ。

走らなければ。

 

地獄

車がお年寄りを撥ねとばし、子供を跳ね飛ばし。猫を跳ね飛ばしたことには気づきもしない。

子供が集まれば、一人は階段から突き落とされ、またある一人は奴隷という居場所を得る。

自分を守ることと、相手を殴ることは同義で。

国が人を守ることと、国が人を殺すことも同義だ。

金のない者は売るものもないから、金のある者に気に入られるために、心か身体を商品にするしかない。

 

毎年、80万人が、生きることに耐えられず自分を殺す。

それ以上の数の人が、死なないために、自分をナイフで切りつける。

もっと多くの人が、身体を傷つけられない代わりに、心を傷つける。

 

事実だ。これは、一つ一つ実例を挙げられる、事実だ。

 

本当は別の世界があって、ここが地獄だって言われても、なるほどなあと思うだけだ。

でも、そういう場所に生まれたんだ。耐えられないと思う人たちも、ここはそういうところだって割り切って、助け合って生き延びていくしかない。

 

地獄と違うのは、ここにいるのは鬼と亡者ではなく、全部人間だってことだ。

蜘蛛の糸を自分で紡ぎ出そうとする奴がいたり、針山の痛みを和らげる薬を開発したり、血の池地獄で溺れそうな人に手を差し伸べる人がいる、何の意味もなくたって石を積むのを手伝ってあげる奴とか、こんな地獄で人を笑わせようとしている挑戦者だって、ただ応援する人だっている。

 

地獄にいても、笑えることはある。幸せだと思う瞬間がきっと来る。

赤卵

何かができなかったり、何かを失敗したりして、

人の期待に応えられずに悲しい時がある。

 

熱心に指導してもらったのに、試合で負けたりとか。

受験に落ちたりとか。

就職が決まらなかったり、なかなか結婚しなかったり、ね。

 

「勝手に期待する方が悪い」とか「一生懸命やったから仕方ない」と思うことなんて、自分にはできないから。やっぱり、自分が悪いと思ってしまう。

 

どうしても悲しく苦しくなった時は、むしろ相手の視点に立つといい。

自分が悲しかろうが、嬉しかろうが、相手にとって事実は変わらないのだ。

 

卵売り場の、卵一つ一つに5cmくらいの人が入っていたら、もしかしたら、内側から卵の殻を黒く塗ったり、青く塗ったりしているかもしれない。テレビの絵描き歌を聞きながら下手なドラえもんの絵を描いてるかもしれない。

でも、割って見なけりゃ白い卵は白い卵。

 

これは意外なことだが、自分が、何を思っていようが、何を嘆いていようが、周りから見たら、見えないのだから知ったこっちゃないのだ

 

だから、相手に申し訳ないと思っても、自分が心の中で考えることはなんの影響もない。悲しく思う必要はない。

 

赤い卵もあるけどね。

赤い方が、美味しいのかな。